心が止まってしまうほど、大切なものを失ったとき
何を見ても、涙が出てくる時期がありました。
特別な出来事ではなく、
テレビの音、街の風景、誰かの何気ない一言。
それだけで、胸の奥がいっぱいになってしまう。
そんな自分に、
「もう少し強くならなきゃ」
「いつまでこうしているんだろう」
そう言い聞かせようとしても、
心は言葉の通りには動いてくれませんでした。
周りの方から向けられる
「大丈夫?」という心配の眼差し。
その優しさが、ありがたいはずなのに、
どこか苦しく感じてしまうこともありました。
心配されるたびに、
「私はそんなに大丈夫じゃないのかな」
「普通でいなきゃいけないのかな」
そんな思いが、静かに重なっていったのです。
不思議だったのは、
ご飯を食べている自分がそこにいるのに、
味をほとんど感じていなかったこと。
「食べられている」という事実と、
「感じられていない」という感覚が、
同時に存在していました。
今振り返ると、あの頃の私は
悲しみの中にいたというより、
心とエネルギーが一時的に止まっていたのだと思います。
大切な存在を失ったとき、
心は一度にすべてを受け取ることができません。
あまりにも大きな衝撃の前で、
感じることを止めることで、
自分を守ろうとするのです。
量子や周波数の視点で見ると、
これはとても自然で、賢い反応です。
壊れたのではなく、
守るために静止している状態。
涙が出続けることも、
逆に、何も感じられなくなることも、
どちらも「ちゃんと生きている証」です。
悲しみには、
乗り越え方の正解も、
立ち直る期限もありません。
ただ、
無理に元気になろうとしなくていい場所。
説明しなくても、わかろうとする人がいる場。
そんな“整えの場”があると、
止まっていた流れは、
その人のタイミングで、少しずつ動き出します。
もし今、
誰にも話せない思いを抱えているなら。
言葉にできない感情を、胸にしまったままなら。
ここでは、
「ちゃんと話せなくていい」
「結論を出さなくていい」
「前向きにならなくていい」
あなたの話を、聴きます。
涙でも、沈黙でも、大丈夫です。
この場所は、
頑張れないときの逃げ場であっていい。
立ち止まるための、安全な場所であっていい。
必要なときに、
また思い出してもらえたら、それで十分です。