「僕の夢は、ロバート・キャパのような報道カメラマンになることなんだよ!」
初めて彼がそう語ってくれたのは、彼が20歳、私が24歳のときでした。
目をキラキラさせながら話す姿に、私はただうなずき、彼の夢に自然と心を寄せていました。
当時の私は、夢という言葉に実感を持てていなかったのです。
夢を現実にしていく日々は、決して華やかではありませんでした。
小さな雑誌社から始まり、宣材写真を撮る日々。お給料もわずか。でも彼は一度も文句を言いませんでした。
「夢に向かっている時間は、全部が楽しいんだよ」
寝る間も惜しんで撮影に没頭し、帰ってこない夜も多々ありました。
連絡もつかない日々の中、テレビから流れたニュース映像に、留置所の前で張り込む彼の背中を見つけ、子どもたちと「パパ頑張って!」と声を届けたあの日。
私たちはいつも、夢を追う彼の姿にエールを送り続けてきました。
努力は確かに形になり、有名雑誌との契約やスクープを連発するようになりました。
「僕の写真は、国際図書館に残る。僕が生きた証なんだ」
そう言っていた彼の言葉を、私はずっと覚えています。
食べなくても寝なくても、夢を追いかけていると人は生きていける。
そんな在り方を、私は彼から教わりました。
無理は禁物だけど、それほどまでに夢中になれるものがある人生は、きっと豊かで幸せです。
主人の背中を見て育った子どもたちは、いい意味で自由で、しっかりと自分を持った大人になりました。
私はただ、どんな道を選ぶのかを信じて見守っています。
そして今、私自身も夢に向かって輝いていけたら——
天国で見守っている彼が「よくやったね」と褒めてくれる気がするのです。
夢は、誰かに決めてもらうものではなく、自分で決めていい。
たとえ今はわからなくても、それを探し始めることが、すでに一歩なのです。
あなたは、どんな夢に向かっていきますか?
その一歩を、いつ踏み出しますか?