七夕に想う──出会いと別れのあわいで、魂が奏でる約束

七夕に想う──出会いと別れのあわいで、魂が奏でる約束

七夕に想う──出会いと別れのあわいで、魂が奏でる約束

今日は七夕。

織姫と彦星が年に一度、天の川を渡って逢うことが許される夜。

それは、ただのロマンチックな伝説ではなく、私たちの魂の記憶に響く深い物語でもあるのかもしれません。

出会いがあれば、別れもある。

人生には、その繰り返しがそっと寄り添っています。

喜びと悲しみが交差しながら、私たちは「人として生きること」の意味を学び続けているのです。

私は今回、この文章のタイトルに「あわい(間)」という言葉を使いました。

この「あわい」とは、二つのもののはざま、中間にある空間や時間を意味する古くからの日本語です。

たとえば「出会いと別れのあわい」「この世とあの世のあわい」──

目には見えないけれど確かに存在する“あいだ”を丁寧に表す、美しく奥行きのある言葉です。

私もこの言葉の意味を知ったとき、心が震えるような深い学びを得ました。

それはまさに、七夕の夜に感じるような、遠く離れていてもつながっているという感覚と、どこか重なる気がしたのです。

人は、生まれる前に「どんな経験をするか」「誰と出会うか」「どんな別れを経験するか」までを魂で約束してから、この地球にやってくるといわれています。

あえて波動の重い地球を選び、時に痛みを感じながらも、深く愛し、成長するために。

私の姪に赤ちゃんが生まれたのは、つい先日、7月2日。

その知らせを受けたとき、胸の奥で静かに灯がともるのを感じました。

昨年10月に旅立った私の姉──そのすぐ翌月には、お腹の中に新しい命が宿っていたと知ったとき、

「命って、ちゃんとつながっていくんだな」と涙があふれました。

命は途切れるのではなく、形を変え、場所を変え、私たちのそばに在り続けてくれている。

その証のように、残された私たちの心にもまた、新たな学びと癒しの旅が始まるのです。

「大丈夫?」と声をかけられても、「大丈夫」としか答えられない日々。

どうにもならない悲しみを抱えて、笑うしかなかったあなた。

その痛みに、私は心から寄り添いたいと思っています。

あなたの声にならない想いを、そっと受け止める場所がここにあります。

オンラインでも、遠方でも、いつでも心を届けられるようにしています。

ふとした瞬間に、誰かのぬくもりを思い出したり、

何かの匂いで、あの人の存在を感じたり。

目には見えなくても、繋がっている絆を、魂はちゃんと覚えているのです。

あの世とこの世の時間は、流れ方が違うのだそうです。

この世は、あの世にとってほんの「夏休み」のようなもの。

だったら、私たちも、限られた時間の中で、

「自分を大切にすること」「魂がよろこぶこと」を選んで生きていきたいですね。

「自分を愛するって、何をすればいいのかわからない」

そんな声を、何度も聞いてきました。

でも、「これ、好きですか?」と問いかけていくうちに、

少しずつ、ご自身の中の「好き」に出会いはじめる方も多いのです。

たとえば、七夕の夜。

会いたかった人に会いにいってみる。

心の中で手をつなぎなおす。

その瞬間、ぽっと心があたたかくなる。

「生きていてよかった」と、魂がふわりと喜ぶのです。

あなたは、この世で──誰に会いたいですか?

日本の七夕は、単なる年中行事ではありません。

それは、「出会いと別れを通して、私たちはどう生きるのか」を教えてくれる、魂の学びの日でもあります。

どうか、忘れないでください。

あなたは、ひとりではありません。

魂はつながっていて、

そして私は、あなたにそっと寄り添っています。

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